当記事は帝国ホテルアーケード開業90年を記念して2013年の「IMPERIAL No.83」に掲載されたものを一部リライトしたものです。
帝国ホテル 開業33年目の1923(大正12)年。
フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテルの旧本館、通称ライト館の完成と時を同じくして、帝国ホテルアーケードは誕生いたしました。
今ではホテル内商業施設としては世界的にも、大規模と言われるまでに成長したアーケード。
その開業時のエピソードや、買い物を楽しんだ著名人の思い出の数々、
そして、90年間変わらずに守り続ける精神を、
帝国ホテルの会長とアーケード組合の理事長が語り合いました。
帝国ホテル ライト館
ー小林会長(帝国ホテル 取締役会長)
帝国ホテルが開業して今年で123年。
アーケードはそのうちの90年間、帝国ホテルブランドの一部として、ホテルに滞在する楽しさや便利さを支えてくれています。
ホテルのお客様は皆様アーケードのお客様ですし、アーケードで買物したいから帝国ホテルに泊まるお客様もいらっしゃるほどです。
ー植田理事長(帝国ホテルアーケード組合 理事長)
それは嬉しいですね。
世界各国にはその国の迎賓館となるべきホテルがありますが、たとえば、パリのリッツや香港のペニンシュラはホテル内でアーケードを運営しています。
現在48店舗が軒を連ねる帝国ホテルアーケードは、世界的にみても大規模だといえるでしょう。
ー小林会長
じつは、アーケードという言葉を日本で初めて使ったのは、帝国ホテルなのです。
開業時は、正面口は現在の宝塚劇場の方向を向いていて、建物の横に大きく「ARCADE」と掲げられていました。
当時の支配人が発案者であり、名付け親でもあります。
もともと「ARCADE」アーチ(弓)状の屋根がついた歩道や商店街のことですが、フランスではガラス屋根の歩行専用のアーケードを「パサージュ」というそうです。
「パサージュ」には、「ぶらぶら散歩する」という意味もありますがら、「ARCADE」には買い物を自由に楽しめる場所であってほしいという願いもこめられているのでしょうか。
開業当時の帝国ホテルアーケード
開業当時の帝国ホテルアーケード
ー植田理事長
ライト館ができた年は関東大震災があり、当時帝国ホテルの周りには、海外からのお客様が買い物できる店は本当に少なかったのです。
現在のきらびやかな街並みとは様子が違います。
ー小林会長
だからこそ、お泊りのお客様にホテルに居ながらにして買い物ができるよう、
日用品や、日本ならではの品、お土産などをすべてホテル内で提供したいと考えた。
それが、アーケードを発想した原点でした。
ー植田理事長
開業時の出店数は19店舗でした。
出店の基準は「伝統芸術の面で、文化・技術水準の面で日本代表をする店」。
宝飾、洋服、人形、和装小物、美術品、書籍、カメラなど、日本の文化を代表する店が並んでいました。
シャツ専門店などでは、2、3日でオーダーメイドできたといいます。
ー小林会長
文化的にも技術的にも、海外のお客様に楽しんで頂ける品々を扱う店ばかり。
当時のお客様から見れれば重宝されるようなものでした。
ー植田理事長
しかも19店舗のうち4店舗が、現在も帝国ホテルアーケードに店舗を構え続けています。
宝飾品店では、ウエダジュエラー(旧店名・植田商店)、マユヤマジュエラー(同・繭山龍泉堂)、ミキモト(同・御木本真珠店)と、オーミヤ商店(同・近江屋シャツ店)です。
マユヤマジュエラー
ミキモト
ー小林会長
アーケードが開業以来守っている四つの決め事もありますね。
ー植田理事長
ええ。
一、海外から来られたお客様が持ち帰っても恥ずかしくない厳選された商品を扱うこと。
二、専門店が専門のものを販売すること。
三、ベストなサービスで接客を行うこと。
四、適正な価格で販売すること。
です。
ー小林会長
時代背景からいうと、多数いらっしゃる海外からのお客様の移動手段は船でした。
なにしろ、ツェッペリン伯爵が飛行船の実験飛行をしていた時代ですからね。
サンフランシスコからホノルルまで7日間、そこから横浜まで10日間など船中泊を続けたり、各国に寄港して観光したりしながら、ひと月、ふた月かけて日本にいらっしゃる。
ホテルの逗留日数も1週間、2週間が当たり前でした。
ー植田理事長
その時代に日本の観光地をみると、一度きりのお客様が多く、商品に高値を設定しているところもあったと聞いたことがあります。
お客様の中には、値段交渉をして買うことも旅の楽しみと言う方もいらっしゃいました。
しかし、私たちは帝国ホテルブランドのもとで商いをしているのですから、高値を付けるようなことを決してやってはいけません。
それは90年、アーケードが守ってきた精神です。
ー小林会長
ホテル内に店を構えているということは、お客様にとっては帝国ホテルのお店ということですからね。
ー植田理事長
ええ。でも始めたころは苦労の連続です。特に英語での接客は大変でした。
お客様のほとんどは外国人ですから、英語の教本をオリジナルでつくって、スタッフ一同、猛勉強です。
お客様から教えていただくことも多く、私どもで言えば、「Eだけだと"エ"と発音しにくいからYEと書いたほうがよい」というアドバイスを頂いて、
店の看板の表記は「UYEDA」としてあります。
ー小林会長
90年の歴史で、終戦後の1945年から7年間、帝国ホテルが進駐軍の高級将校の宿舎として接収された時代は、
アーケードが賑わいを見せていたのではないですか。
ー植田理事長
はい。
実はマッカーサー夫人は毎週土曜日に息子さんを連れて、アーケードにいらっしゃいました。
特に細かい細工が施された銀製品がお気に入りで、いろいろな形の塩・コショウ入れを毎回お店にあるだけお買い求めになりました。
全部で80セットほどお買い上げになったと記憶しています。奥様の紹介でコメディアンのボブ・ホープも来店され、すべて同じ物をとのご注文を承ったこともあります。
職人が二人がかりで1ヶ月かけて7セット作るのがやっとの銀の珈琲セットも当時は人気でした。
1ドル360円の時代で1セットが5万円ほどしましたが、飛ぶように売れて長い間生産が追いつかない状態が続いたほどでした
一方で、終戦直前の5年間はお客様がいらっしゃらない時期でした。
「欲しがりません、勝つまでは」という合言葉のもと、贅沢品の製造販売を制限する七・七禁令で開店休業状態が続いても、休まず開店していました。
終戦後のウエダジュエラー
ー小林会長
時代にかかわらず、ホテルは年中無休ですからね。
ー植田理事長
ですから、アーケードにも原則休みはありません。今でも年末に一部の店舗が1~2日休みを取る程度です。
ー小林会長
帝国ホテルにご宿泊されたVIPの方々もたくさんアーケードをご利用頂きましたね。
ご宿泊された方だけでなく、ライト館時代には800人以上収容できる大劇場もあったので、そのお客様もアーケードに立ち寄ってくださったと思います。
今では、外国人だけではなく、お食事などでホテルにお越しになった際に、アーケードにいらっしゃる日本人の方も増えてきていますね。
ー植田理事長
お客様の歴史をたどると、大リーグで活躍されたベーブ・ルースや、ジョー・ディマジオ、その他ヘレン・ケラーやキッシンジャー夫妻、ライシャワー夫妻、歌手のフランク・シナトラ、ミック・ジャガーなど皆様に来ていただきました。
また、映画俳優ではチャップリンやジョン・ウェイン、カーク・ダグラス、マリリンモンローなどにお越しいただいています。
ウエダジュエラーのサイン帳に記されたベーブルースのサイン
来店された著名人のサインで埋め尽くされたサイン帳
ー小林会長
ダニー・ケイやクラーク・ゲーブルも買い物をお楽しみでしたね。
ー植田理事長
本当に多くの方にお越しいただきました。1954年に、マリリン・モンローがひとりでふらりと来店したときは、はじめはスタッフがマリリン・モンローだと気づかずに接客をしていたそうです。
そのうち、またたくまに店が新聞記者やカメラマンでいっぱいになり、はじめてあの世界的大スターだとわかって、とても驚いた。
やがて、ジョー・ディマジオも現れて、新婚旅行で来日したと知ったそうです。
数々のVIPの方々にいただいたサインは私どもの大切な宝物です。
ライト館の時代から、アーケード内では世界的な大スターの方が、ゆったりとお買い物を楽しまれていました。
帝国ホテルの中にいるということで、安心して買い物ができると思ってくださったのでしょうね。
ー小林会長
私自身の経験でアーケードに関していちばん印象的なことは、サッチャー元首相が、
作家のジェフリー・アーチャーと一緒にご宿泊されたときの出来事です。
ある会社がサッチャー元首相を講演会に招聘し、招聘元の社長名を彫り込んだ銀の皿をもってきたところ、
スペルが間違っており、Aの文字がIに彫られている。字が傾いても良いから、直してくれと懇願されたことがありました。
期限は何日あるかと訊くと、3日しかないといわれ、そこで頭を抱えてウエダジュエラーへすがる思いで相談にいきました。
ー植田理事長
線を二本書き加えればAという文字にできないことはないけれど、曲がった文字になってしまいますね。
ー小林会長
その時ベテランスタッフの方が、まず品物をじーっとみてから、「何日ありますか?」と訊き、
もう一度じーっと見た。そして「お引き受けします」と言ってくれた。
短時間で様々なことを考え、こちらの思いをすべて汲み取った上で引き受けてくれ、その対応がすばらしかった。
そして、3日後、真っ直ぐなAの字に綺麗に修正されてきて、とても感動したことを今でも覚えています。
ー植田理事長
その場しのぎの手直しをしたのではなく、彫り込んであったIを消して新たにAと彫ったのだと思います。
その時担当したのは、83歳まで現役で働いていた社員でした。
在日大使が帰国される時に、大きなお皿にサインを彫って差し上げるといったことなどを、
長年経験していたからできたのだとおもいます。
ー小林会長
アーケードのお店の職人の技が、帝国ホテルのお客様を助けてくれた。
本当に忘れられないエピソードです。ホテルもアーケードも一番大切なのは人ですからね。
今でもそういう長いキャリアを持ったスタッフがホテルを支えてくれていることは嬉しく思っています。
ー小林会長
帝国ホテルには何世代にもわたってホテルを利用してくださるお客様がいらっしゃいますが、
アーケードにもそのようなお客様が多いのではないですか?
ー植田理事長
はい、代々、アーケードの各店でウェディングの支度を調えて下さるお客様もいらっしゃいます。
アーケードには、オーナー経営の店が多いのも特徴の一つです。
店に行くと店主がいる。店主の顔が見えるというのはお客様にとってなにより安心できることではないかとおもいます。
お互い顔がわかっているからこそ、じっくりやり取りができます。
ー小林会長
それから、アーケードには様々なジャンルのお店がありますね。
ー植田理事長
ほとんどが専門店です。
現在、店舗は3分の1が服飾関係ですが、オーナーが自ら厳選したものをご用意しているので、それぞれのお店の個性が存分に発揮された品揃えだとおもいます。
ー小林会長
アーケードを見て回ると、日本を代表する一流の品が、適正な価格で用意されているという信頼が確立されており、ホテルとしては、安心して、お任せできます。
変えるべきことを変え、変えてはいけないことは守りつつ、これからも様々なお客様に楽しんでいただける場所としてあり続けてほしいと思っています。
ー植田理事長
そうですね。帝国ホテルでしか買えない商品を取り揃え、上質なショッピングを楽しめる場であり続けるよう、さらに努力を重ねていきたいと考えております。
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