『アーケードストーリー』では、帝国ホテルアーケードの理事たちが寄稿したエピソードを通して、アーケードの魅力をお伝えしております。
第2回目は「ブティック モーロング」の三代目社長の蒋東桜さんを母に持つ土井麗麗(りりい)店長に「創業者と会社の成り立ち」について語っていただきます。
アーケードちょっと良い話
『有名作家を唸らせた洋品店』~ブティック モーロング編
母方の曽祖父は中国上海近郊にある寧波で仕立屋を営んでいました。その頃日本は明治維新を成し遂げ、明治4年には政府が散髪脱刀令を公布しました。その話しが中国にも伝わり、日本は必ず洋装になると確信した曽祖父は大志を胸に、大工や使用人十数人を引き連れ日本に渡ります。
そして明治20年頃に「トム洋服店」という名で日比谷の帝国ホテル前に店を構えました。主に礼服の仕立てを生業とし、公爵を始め数多くの著名人から「礼服が得意な店」として、ご贔屓にしていただいたようです。
その曽祖父の仕事ぶりは、後に永井荷風の「洋服論」にこう評されています。
--洋服の仕立ては日本より中国に限る。とりわけお薦めしたいのは、帝国ホテル前のシナ人の洋服店である。銀座の「山崎」などは糸を惜しみ、なおかつ高い。縫い目、ボタンの付け方堅固ならず、まことに『日本の商人ほど信用の置きがたきはなし』--
今から150年近く前では、いずれそれが逆転するとは誰も思わなかったでしょう。
時は移り96年前(1923年)に帝国ホテルに日本初のショッピングアーケードが出来ました。東京大空襲で焼失してしまった「トム洋品店」は、名前を新たに「茂隆(モーロング)」として帝国ホテルアーケードに出店しました。
時代の移り変わりとともに紳士服の仕立てから、婦人服地を選んで仕立てるオーダーメード。そしてフランス製をメインに既製服のセレクトショップへと様変わりし、現在の「ブティック モーロング」に至っています。
この地で4世代に渡って商売をしてきましたが、洗練され選び抜いた、より良い商品をお客様に誠実にお売りする精神は、3代目の母と共に4代目の私にも脈々と受け継がれています。
BACK